Column/News
“ヒト”に関わるビジネスへの想い
株式会社エール 代表取締役社長 丹澤直紀
しんどい中、もっとしんどい思いをして、みんなで会社を大きくさせてきた。
山梨県で創業し、求人情報フリーペーパーや求人サイトの運営など、地域に密着した人材サービスを展開するエールグループ。一発当てたい——丹澤社長が幼少期の原体験をもとに、そんな野心を持って起業した会社だ。どのような苦境に直面し、乗り越え、会社を成長させてきたのか。丹澤社長に振り返っていただいた。
同じことを続けても成長しない反対を押し切りフリーペーパーを刊行
まず、丹澤社長が人材ビジネスに携わるようになった経緯から教えてください。
私は求人広告会社での勤務を経て、1992年にエールを創業しました。そこに至るまでには、自分の原体験が影響しています。私の父は2度離婚をしていますが、それに伴い私は幼少期に4~5年の間、他人の間を転々とする日々を過ごしました。そのような経験の中から「一発当てたい」という思いが当時からありました。そしてプロキックボクサーになったのですが、結果がついてこずに19歳で引退。バイトを転々としたのち、父が就職していた求人広告会社に入ったのです。半年~1年ほど経験を積んだ後に、父親ら4人で独立しました。
独立したのはどのような思いがあったからなのでしょうか。
すごく儲かりそうだと思ったからです。当時、求人紙の広告費は1ページ100万円。それがページ数分入ってくるので、いいビジネスだと。けれど、創刊号は全く売れませんでした。1冊100円の有料紙だったのですが、3000部刷ると2500部が戻ってくるほどで、もちろん反響も出ません。それでも3年目くらいから、ナイト系の求人を取るようになって、順調にいくようになりました。そこからフリーペーパーに切り替えて、さらに成長が加速していきました。
有料紙が順調だったのにも関わらず、なぜフリーペーパーに切り替えたのでしょう。
広告をたくさん売ることで、目の前の給料は少し良くなっても、会社は大きくなりません。成長するためにどうすればいいのか悩んでいたときに、商売のノウハウを学ぶため、全国求人情報協会に入りました。そこで出会ったある社長が、「読者が求めることは何か」「クライアントが望んでいることは」「この商売を成立させるには」など、話してくださったのです。それらの話を足し算する中で、フリーペーパーにたどり着きました。社員たちは当時フリーペーパーという、未知のものに不安もあり反対の声もありましたが、このまま同じことを続けていても会社は大きくならない。後でダメになるなら、今ダメになろう。そんな思いでフリーペーパーを刊行したのです。
リーマンで業績が70%ダウン苦境を乗り越えたのは社員の存在
まさに恩人だったのですね。ほかにもその社長に教わったことがあれば教えてください。
「反響を出さないとダメ」ということですね。それまでは、反響がなければまた広告を出してもらえるので、売上げが増えると信じていました。けれど反響を出すことで、もっとクライアントが広がっていく、と教えられ、すぐに媒体の方向性を変えました。それまでは原稿に給料も載せず、クライアントの言うままに作っていました。けれど規定を設けて、沿わない求人は載せないようにしたところ、まず営業が生き生きとするようになりました。商品力があるので、自信を持ってお客様に進められますし、トークがうまくなくても売れるようになったのです。求人メディアとしては山梨でトップシェアになり、人材紹介も始めて、会社をさらに拡大することができました。
順調に会社が拡大していったとのことですが、壁にぶつかったことはありましたか。
東京進出がうまくいかなかったことです。当時は勢いに乗っていましたし、IPOも見据えて、数億円を投資してモバイル求人サイトを始めたのですが、東京では全く通用しませんでした。営業マンの採用にも苦労し、結局3~4年で撤退することに。さらに、またチャンスが来るだろうと呑気に構えていたとき、リーマンショックで売り上げが70%落ちたのです。
それは大変な苦境だったかと存じます。どのようにして乗り越えたのでしょうか。
やはりメンバーが頑張ってくれたからです。業績が落ちてボーナスをカットせざるを得なくなったのですが、そんな中でも私は性格上、これ以上社員にしんどい思いをさせられない……とは考えないんです。私は経営者ではあるけれど、社員に一方通行で給与を渡すだけの存在でなく、社員は私と共に会社を作っている仲間だと考えているからです。みんなが頑張ってくれることで、会社の業績が上がり、はじめて給与や賞与が出せる。だからしんどい中、もっとしんどい思いをして、みんなで良くなっていこうと。
口には出しませんでしたが、メンバーたちはそんな私の思いを汲んで、ついて来てくれました。そして売上げを出すためにどうするか考え、一生懸命働いてくれました。なので私も、みんなでこの苦境を乗り越えられる、と勝手に信じていましたね。
いいサービスを作りながら苦労するそうすれば必ず業績が上がる
まさに仲間たちに支えられて、苦境を乗り越えてきたのですね。
それと、商品の質を絶対落とさないようにしました。当時、週刊で出していたフリーペーパーを、月2回に減らそうという提案が様々なステークホルダーからあったんです。そして削減した分の経費を、メンバーの賞与等に充てようと言われましたが、私は決して譲りませんでした。このモデルは急募に対応すべきものなので、週刊でなくては意味がないんだと。
そこまでしてサービスの質にこだわったのは、どのような思いからなのでしょう。
一時しのぎでサービスレベルを落とすと、その時はよくても、一度離れたクライアントや読者が戻ってこないと思ったのです。肝心なのは、いいサービスを作りながら苦労すること。そうすれば、景気が戻れば業績も上向きになると確信していました。実際に景気が回復してから、業績は上がっていきました。
丹澤社長が会社を経営されるうえで、心がけていることを教えてください。
私たちは「物心両面の幸福」を大事にしています。けれどかつて、物心の「物」とはお金で、「心」は出世したいという気持ち。つまり、両方とも物でした。実際メンバーに対して、「会社が拡大したらいいポストを与えるから頑張れ」というマネジメントをしたのです。けれど、今は「心」の部分を「サービスを通じて地元に貢献する」と定義し、楽しみながら本当にいいサービスを作っていこう、と考えています。
ありがとうございました。最後に、人材業界に関わる方たちにメッセージをお願いします。
これから日本経済が成長するための戦略の一つは、労働市場改革です。雇用は血液のように欠かせないもの。そこに関わる人材業界も、社会的意義があります。また労働力不足の中で、人材ビジネスは堅調ですが、20~30年後を見据えると悩ましいところです。ロボットやAIの発達によって多くの仕事が失われ、私たちの役割は世の中で意味があるのか、そう思うかもしれません。しかし、人々が多様な働き方をするようになり、まさに労働市場が変革する最先端に、私たちはいるのです。その節目に携わっている認識を持って、変革者としてどう参画していくか。それこそがこのビジネスの面白さだと捉え、楽しさややりがいを感じながら働いていきましょう。
企業情報
株式会社エール
山梨県甲府市大里町4213番地1Tel.055-244-0875
https://www.yell-1992.com/
1992年創業。山梨県に密着した総合人材会社として、フリーマガジン「求人情報誌エール」の発行や、求人サイト「イイシゴト山梨 エール」の運営など、採用を軸に幅広い事業を行っている。
プロフィール
丹澤直紀(たんざわ・なおき)
1972年、山梨県生まれ。1992年、二十歳の時に父と共に有限会社エール・コスモスを設立。求人広告の適正化と求人メディアの信頼性向上の大切さ知り、公益社団法人全国求人情報協会に加盟。山梨県内の求人情報の適正化を推進。また、地元の雇用創出拡大を目的に派遣・紹介業にも進出。2011年、公益社団法人 全国求人情報協会、理事長に就任。