Column/News
“ヒト”に関わるビジネスへの想い
東洋ワーク株式会社 代表取締役副社長 猪又明美
一般社団法人人材サービス産業協議会 理事 人材育成委員会 委員長 青木秀登
震災を乗り越え見えてきたのは派遣業界であることの誇り(猪又)
1976年に宮城県・仙台市で創業した東洋ワーク。人材派遣・製造請負を軸に、幅広い事業展開をしている。そんな同社の歴史の中で、最も大きな苦難の一つが、2011年3月に発生した東日本大震災だ。甚大な被害を受けながらも、スタッフや社員の生活を守るため、東洋ワークや日本生産技能労務協会 (以下、技能協)が奮闘したエピソードを中心に、旧知の仲である猪又氏と青木氏が語り合った。
仙台で震災に直面200名のスタッフと連絡がつかず
青木東洋ワークは今年で40周年を迎えましたが、猪又さんはいつから働いているのですか?
猪又アルバイトで2年働いた後、新卒一号として入社しました。社長から「仙台で一番の会社にするから来ない?」と誘われて、コンピュータ会社に内定が決まっていたのですが、そこを断って東洋ワークに入ったんです。バイトも含めると35年ですね、年がばれてしまいますが(笑)。
青木(笑)。昨年には副社長に就任しましたね。長い時間を過ごす中で、苦労もあったと思いますが、特に大変だった出来事を教えてください。
猪又バブル崩壊、メインバンクだった北海道拓殖銀行の倒産などいろいろありましたが、リーマンショックのときは本当に辛かった。クライアントの仕事がなくなり、弊社との契約が次々と終了していったのです。それでも私たちは、派遣スタッフや社員の生活を守るために給料を支払わないといけません。いよいよ会社が倒産するという危機を感じた経験を何度もしましたね。ようやく落ち着いて、「もう一度ここから頑張っていこう」という矢先、2011年3月11日に大地震が起きたんです。
青木東日本大震災ですね。
猪又はい。当時、私は障がい者雇用の事業を担当しており、震災の日も仙台港にある工場にいました。午後2時46分に地震が発生し、非常に大きな揺れが5分近く続いたので、明らかに普通ではないと感じました。周囲から煙も上っていましたし、ミサイルが撃ち込まれたのかと本気で思ったほどです。幸い工場内でケガ人は出なかったのですが、翌朝に本社に戻って安否確認を始めたところ、200人ものスタッフと連絡が取れませんでした。ラジオの報道で、沿岸部に200~300の遺体が上がっていると聞いても、「え、死体って何? 魚の?」と、事実を飲み込めませんでしたね。私のいた工場も海から1kmのすぐそばでしたが、近くの建物で波が分かれた形になり、被害が少なくて済んだのです。後であんなに大きな津波だったと知って衝撃でした。
スタッフや社員を守りたい真摯な思いが国を動かした
青木スタッフと連絡がつかないという状況は、非常に心配だったでしょう。
猪又はい。派遣先とメールも電話も繋がらないので、弊社社員が「東洋ワーク社員を探しています」と書いたプレートを持って沿岸部の一つ一つの避難所を訪ね探していると、一人、二人と出てきたのです。何をしていたのか聞くと、避難所の清掃や配給のお手伝いなどをしていたと。嬉しい反面、「もっと早く会社に連絡して」と思ったそうです(苦笑)。結局、3月の月末まで安否確認にかかりました。最終的に、人的被害は二名。そのほか、家を失ったり、ご家族が亡くなったりという方もたくさんいらっしゃいました。
青木ほかの人材会社の方も、安否確認で苦労されたと聞きます。本当に大変でしたね。その後は、どのように復興に関わっていったのですか?
猪又人命や生活確保が第一ですが、私たちは仕事を提供する会社です。頭をよぎったのは雇用の確保でした。お客様も被災しているため、スタッフは働ける場所がない状態でしたが、私は全事業所に「給料は保障します」と通知しました。あとは何とかするから心配しないで大丈夫です、と。実はその時点では何の後ろ盾もなく、不安だらけでした。しかし、頭の隅に「雇用調整助成金さえ出れば」という思いだったんです。
青木よく決断しましたよね。給料は保障するので、あなたたちは身の安全を確保して頑張って、というメッセージが感じられて、派遣スタッフや社員も安心したでしょう。ただ、最初は、助成金の受給が難しかったのですよね。技能協へも、猪又さんをはじめとして、被災した東北の会員会社から、「助成金の対象外になっているようなので、どうにかしてほしい」と派遣スタッフの雇用を守ろうとする問い合わせが複数よせられました。ですから、私達は、すぐに厚労省や国会議員に派遣も助成金の対象にしていただけるように説明に回りました。連合も力になってくれました。おそらく、想定外だったのでしょう。その後、状況を理解していただいたようで、すぐに派遣会社も助成金の対象になったのですよね。
派遣会社の持つ能力を生かしこれからも社会の役に立ちたい
猪又本当に助かりました。派遣業界を誇りに思っていましたし、絶対に何とかしてくれると信じていましたから。復興が少し落ち着いて、散らばっていた社員たちが各拠点に戻ったとき、派遣スタッフやその親族が、お菓子や野菜を持って来てくれたそうです。そのときに、当時の私たちの決断は間違っていなかったし、人材業界で働いてきて本当に良かったと思いましたね。一時、派遣業界がバッシングされて、派遣社員として働くことが、色眼鏡で見られる状況がありました。私も心が折れそうになったことがありましたが、改めてこの業界を誇りに思いますし、培ってきた能力をもっと社会に生かしていきたいとも感じました。
青木改めて、猪又さんが人材サービスへどのような思いを持っているのか、教えてください。
猪又人によって性格や能力は千差万別です。また学生、第二新卒、主婦、シニアなど、様々なライフステージに立っている方がいますし、日々を生きる中で不満や不安や悩みも抱えています。私たちはそれを理解し、一人ひとりの希望や本人の可能性を考え、きちんと派遣先に伝えることで、定着させる能力が非常に高いと思っています。引きこもりや障がい者、高齢者、シングルマザー、生活保護を受けている方など、なかなか職に就けない方であっても、我々が工夫して企業に様々な提案をすることで、ちゃんと働ける仕組みを作ることができます。人材サービスの提供を通し、これからも自信と誇りを持って、社会に貢献していきたいですね。
青木ありがとうございました!
企業情報
東洋ワーク株式会社
宮城県仙台市青葉区国分町1-7-18 白蜂広瀬通ビル5FTel.022-225-5052
http://www.toyowork.co.jp/
1976年設立。企業の人材採用におけるあらゆるニーズに応えるため、請負、派遺、職業紹介、再就職支援、グローバルなど様々なサービスを提供している。職種は製造を中心に、物流、サービス系やオフイスワークまで幅広い。
プロフィール
猪又明美(いのまた・あけみ)
1959年青森県生まれ。東北福祉大学卒業後、東洋ワーク株式会社に入社。要職を歴任後、専務取締役事業本部新規事業推進室。震災後は被災地域復興推進キャリア支援担当役員を務める一方、日本生産技能労務協会でも「復興推進室」担当理事として被災失業者の就業ならびにキャリア移動支援を推進する。2012年グループ特例子会社クリーン&クリーン代表取締役、2015年、東洋ワーク代表取締役副社長に就任。青木秀登(あおき・ひでと)
1967年生まれ。群馬県出身。(一社)日本生産技能労務協会 副理事長。(一社)人材サービス産業協議会 理事。ランスタッド株式会社 執行役員。2013年から2015年、労働者派遣制度を審議する労働政策審議会 労働力需給制度部会ではオブザーバーを努めた。