二人三脚で歩み続けたコンサルタント人生。逆境を乗り越える突破力。

キャリア女性の先駆け、と言っても過言ではないだろう。女性の社会進出が国策として推進され、当たり前になっている現在。遡ること数十年前から、ビジネスの最前線で活躍し続けてきた女性がいる。母としての顔も持つ彼女は、愛娘と二人三脚でキャリアを築き、トップコンサルタントに上り詰めた。人生のターニングポイントを迎えたばかりという彼女が、ビジネスマンとして、一人の女性として、これまでの歩みを振り返った。

トップコンサルタントと母親、二つの顔を両立しキャリアを積む

森田はキャリア女性なだけでなく、グローバル人材の先駆けでもあった。イギリス、ドイツでの留学を経て、卒業後はドイツの製造企業、イギリスの日系大手商社で勤務。1995年に日本に帰国した。転職のため人材紹介会社に登録したところ、担当者から熱心な誘いを受けた。「人材紹介会社のお世話になろうと思ったら、そのままエージェントのコンサルタントになっていました」と森田は微笑む。淑女という表現が相応しい、落ち着いた佇まいと語り口が印象的だ。

大手人材紹介会社に入社した森田は、語学力を活かしてドイツのクライアントを担当。現地の商工会議所に連絡し、日本に進出する企業の情報を教えてもらうなどして、成約を生み出していった。

しかし、森田は当時3歳の娘を持つシングルマザーでもあった。勤務時間は、8時30分から19時まで。時短や育休など、女性の働く環境が今ほど整備されていなかった時代である。拘束時間の長い仕事に携わるのが難しく、一度は人材ビジネス業界から離れるも、人材紹介会社を立ち上げる知人から誘いを受けて転職した。

残業ができないため、朝7時30分に出勤して、18時には帰宅する日々。しかし娘が小学校に上がった後は、社長の配慮で遅くまで働けるようになったという。「『森田さんのデスクだったらいてもいいよ』と言ってくださって。娘が学校を終わった後、会社に来るようになったんです。その方が私も安心ですし、19時や20時まで仕事ができるようになりましたね」

こうしてコンサルタント業務に注力できるようになった森田は、新天地でも実績を積み重ねていった。クライアントは業種を問わず、ドイツ系企業の日本立ち上げを多く担当。求職者は、新聞に求人広告を出すことで集めていった。その中で、印象的な案件があるという。

「娘が小学校6年生の夏休みのとき、8月の3週目でした。自動車会社や製品メーカーに、シミュレーションソフトウェアを提供しているドイツの会社から、『来週までに社長と技術部長、営業部長、人事、総務を欲しい』と。娘に『ごめんね』と伝え、その日から会社にこもりましたね」

森田がまず行ったのは、その製品をどのように使うのか、クライアントに徹底的に質問したこと。そして製品のことを深く理解してから、求職者を集めていった。面談は、一人につき3時間ほどかけて行うため、数名の候補者だけで一日が終わってしまう。娘と一緒に過ごす時間の代償に、期日までに4名を成約。最短記録を叩き出すというおまけも付いた。そのクライアントは事業も好調で、当初は30名規模だったのが、5年以内に60名にまで拡大したという。

「いまだに人が欲しいときや、大きなポジションの募集のときは、電話がかかってきますね」

目の前の成約よりベストマッチングを追求したい

幅広い分野のクライアントを手掛けてきた森田だが、レッドオーシャンには手を出さない、という考えを持っている。手掛けるのはニッチな領域が中心で、例えばプラント系であれば、水力発電のタービンの製造メーカーなど。そういった分野で成約を上げれば、信頼され他のクライアントを紹介されることも多い。

「求人獲得は苦労したことがありません。リーマンショックや震災の後も、紹介先が無い、ということはなかったですね。仮に採用をしていなくても、その企業にピッタリだと思う方がいれば人事に紹介し、ポジションを作ってもらうことも多いです」

一方で、求職者に対しても真摯に向き合っている。森田は年収1000万円以上のエグゼクティブ層を多く担当しているため、求職者はステップアップを目指すミドルクラスの方が多い。リテーナー型のヘッドハンティングの場合、一年かけて口説くことも。

「本人は転職の意識が無くても、根気強く何度も電話やメールをします。ひょんなことから共通項が生まれ、話が弾むこともありますね。また経験が長い方には、その業界について教えてもらう、という心構えで接しています。そうすれば色々話してくれますし、自分の中でキーワードが増えることにも繋がりますから」

人材業界に入ったばかりの頃、上司から「コンサルタントはプレイスしてなんぼ」と言われたことがあったが、森田は目先の成約ではなく、本当のマッチングを心がけている。例えば成約の直前になって、急に辞退する方がいれば、その理由を深くヒアリングしていく。すると、家庭の事情でお金が必要で、転職することに対して気が変わった…など、理由が明らかになることが多い。その上で、最適な求人を勧めていくのだ。企業・求職者から信頼されることが何より大事。そうすれば求職者が仮に転職した際、その企業の求人を依頼してくれることもあるという。

求人獲得は苦労したことがありません。リーマンショックや震災の後も、紹介先が無い、ということはなかったですね。

根拠のないアドバイスに「なぜ?」疑問を呈し実現し続けてきた

トップコンサルタントとして、24時間仕事に向き合い続けて来た森田。電話インタビューは早朝や深夜、あるいは土日になることも当たり前だ。娘が高校2年生の頃、二人でハワイ旅行に行ったときも、急なクライアント対応をしなくてはならなくなった。机にPCを広げ、クライアントからの連絡を待っていると、23時過ぎについ眠ってしまい、椅子ごと倒れて胸を強打したこともあったという。

「痛みが引かないので薬を飲んで過ごしたのですが、腕が上がらないんです。帰国して病院に行ったら、肋骨が三本折れていましたね」

そんな森田は、2013年に現在のi6コンサルティンググループに入社した。クライアントの紹介が縁なのだという。2015年3月には、これまで二人三脚で歩み続けてきた娘が大学を卒業し、社会人になるというターニングポイントを迎えた。それを機に、日々の睡眠時間を2~3時間に削り、仕事や家事を完璧にこなし続けてきた森田の中で、張りつめていたものがふっと和らいだという。

「家事でも仕事でも、ずっと自分に厳しくしていたのですが、娘の卒業を機に気が楽になりました。今の方が人間らしく暮らしを送れていますね。前は満員電車が嫌で、会社にも車で通勤していたのですが、今はバスも普通に乗っています」

趣味のジャズ・ヴォーカルにも一層力を入れるようになった。週末は歌の練習やYouTubeでジャズ動画を見て過ごし、二カ月に一回はステージで歌っている。「元々あがり症で、それを克服しようと歌い始めたんです。歌って踊れるヘッドハンターを目指したいですね」と森田ははにかむ。また、思い切って家も売ってしまったという。

「止めなさい、と周りの人から言われましたが、急に仕事を辞めたくなったり、海外に行きたくなったりするかもしれない。そういうときのために手放しました。私は天邪鬼なので、人がダメというとやりたくなるんですよね(笑)」

片親では子供を私立小学校に行かせられない。片親では家を買うことができない。そんな根拠のないアドバイスに「なぜ?」と問いかけ、挑戦し、実現してきた。コンサルタントとしても、母親としても、着実に成果を生み出し続けてきたのだ。

その落ち着いた雰囲気からは想像もできないほど、バイタリティに溢れ、数々の逆境を乗り越えてきた森田。この先も、何があっても乗り越えていくのだろう。人材ビジネスでも、その人生においても、これまでと変わらずに、二人三脚で。