自分の数字に満足したことは一度もない。シビれるほどすごい人がまだまだいるから
幼少の頃、世界に憧れて地球儀を眺めていた少年は、成長して海を渡った。そしてさらに成長した頃、トップコンサルタントとして設立間もない会社をけん引していた。求職者と顔を合わせて話すというアナログのコミュニケーションを大事にする一方、目標達成のための細かな分析やシミュレーションも怠らない。そんなトップコンサルタントが、現在に至るまでの物語と人材ビジネスへの思いを語った。
自分の仕事のレベルは社外の誰かと比べて図れ
大きな一つの出来事があったというよりは、様々な人との出会いや、かけられた一言一言が偶然に重なって、必然的に今の仕事と出会えたのではと思っています。
設立から10年を迎えたアズールに所属し、スポーツメーカーと食品、飲料、日雑製品などのFMCG分野で活躍しているコンサルタントの杉原は、人材ビジネスに携わることになった経緯をそう振り返る。
必然的に出会ったという言葉通り、彼は見えない何かに導かれるように、人材ビジネスの世界に入っていった。
幼少の頃、父親が船乗りで世界中を航海していたことから、よく地球儀を見て過ごしていた。世界への憧れは、高校卒業後にカナダ留学という形になって現れる。
「今は何をしたいのか分からなくていい。自分が何者なのかを見つけてきなさい。出発する当日の朝、母親にそう送り出されました。カナダでも、将来は何をしたいのか、ホストマザーによく聞かれていました。当時は答えを持っていなかったので、聞かれる度にもどかしかったですね」
4年間の留学生活を終えた杉原は、両親に留学費用を返すためにも、日本で就職することを決める。ザ・ノース・フェイスというアウトドアブランドが好きだったことから、同ブランドを取り扱っているスポーツメーカーに入社。海外事業開発を担当し、最年少で海外出張という大役を任されるなど、順調にキャリアを積んでいく。 そんなあるとき、突然上司に呼び出された。
「履歴書と職務経歴書を書いて人材紹介会社に登録してこい、と言われたんです。クビかなと思いましたね。ところが上司は、『今の自分の仕事のレベルがどれだけのものか聞いてこい』と言ったんです。自分の仕事のレベルは、社内の誰かと比べて図るのではない。社外の誰かと比べて図るものだ、と」
人材紹介会社の存在を知らなかった杉原は、そこで初めて人材ビジネスの存在を知った。数年後に開催された長野オリンピックも、杉原がコンサルタントに転職する大きなきっかけとなった。オリンピック中、メーカーと選手の間に立って仕事をする中、「プロに転向したいから契約してほしい」「契約更改の会議に一緒に出てほしい」と何人かの選手から依頼された。会社員という立場のため、その全てに応えることはできなかったが、エージェントの仕事に憧れを持ったのはこのときだった。
いいコンサルタントになって見返してほしい
また当時、会社の業績は景気の悪化もあり、難しさを増していき、多くの上司や先輩方が早期退職をしていった。次の就職先が決まらずに苦労しているという話を聞き、ショックを受けた。スポーツ業界でお世話になった先輩方の助けになりたい。そんな思いから、杉原は本格的にエージェントへの転身を考えるようになる。そこで 思い当たったのが、人材ビジネスだった。
「人材紹介の仕事はスポーツエージェントと似ている。人と会社の間に立って、より良い関係を作る仕事だと気づいて、人材ビジネス業界のことを調べ始めました。大手や中小、専門分野特化型などさまざまな紹介会社がありましたが、スポーツメーカー出身でスポーツ業界に強いコンサルタントはいないという話でした。だったら、自分がなったら面白いのではとも思いましたね」
だが思いとは裏腹に、転職活動は難航した。杉原の経歴を見て「なぜ紹介会社に転職するの?」といぶかしがる面接官がほとんど。そんなとき、ある大手紹介会社の最終面接で、5人いた面接官のうちの一人が思わぬ質問 をしてきた。
「君が前にいた会社はどんな評価制度だった? と採用とかけ離れた質問をしてきたんです。面接後に隣の部屋で、私を推してくれていた方が、『どうしてそういう質問をして本質を見てくれないのですか?』と、大きな声で食ってかかっていた声が聞こえました。結果は不採用だったのですが、私を推してくれていた方から『ほかの会社に行って、よいコンサルタントになって見返してほしい』と言われました。その言葉が、絶対に諦めないという原動力になりましたね」
就職活動を続けていった杉原は、紹介会社の面接で衝撃的な出会いをすることになる。その面接官こそ、現在のアズールの代表・井口氏だった。杉原がスポーツ業界に強いコンサルタントになりたいと伝え、自己紹介まで終えると、「分かったから、今日は帰りなさい。もう一度良く考えて、本気でこの仕事をしたいなら私に電話してきなさい」と言われ、僅か15分で面接は終わった。呆気に取られた杉原だったが、翌日、他社の面接を全てキャンセルし迷うことなく井口に電話をかけた。
コンサルタントとしてのキャリアがようやくスタートした。
人と会い、話を聞くことでスキルを磨く
入社して数ヶ月間は苦悩の日々が続いた。新規営業に行っても門前払い。面接が進んでも、最終的に求職者に断られてしまうことが多かった。企業のニーズに対しての提案はできても、求職者のニーズには応えられていないことを指摘され、登録者とのコミュニケーションの重要性に気づかされたこともあった。
そんな中、Eコマース企業の立ち上げで、メンバーを一から募集することになり、10名以上の紹介を行った。 結果が出る嬉しさと同時に、スポーツメーカー以外の業界と接する楽しさも感じるようになった。
「通常ではお会いできない方たちとお話をして、『こんな仕事があるんだ』『こんな仕組みなんだ』と教えられることばかりでした。自分の無知さを知るのと同時に、毎日が新鮮で新しい発見の連続でしたね。出会った方たちの人生に関わることができる、コンサルタントの仕事の楽しみも感じるようになりました」
杉原がスキルを積み上げてきたのは、至ってシンプル。人と会うこと、そして話を聞くことだ。業界や仕事内容で分からないことがあれば、登録者に教えて頂く。レジュメは登録者の人生そのもの。謹んで拝読し、教えて頂く気持ちで面談に臨めば、理解できないことの方が少ないでしょうという。
コンサルタントとして成長した杉原は、その後自分たちの紹介スタイルを追求すべく、井口氏らとともにアズールを設立。立ち上げから半年は苦しい状況だったが、仕事を作り出す事は楽しかった。絶対にやれるはずだ。そんな信念が実り、杉原はトップコンサルタントに上り詰める。
会社を支え続け、アズールは無事に設立10周年を迎えたのだった。
ワクワクして取り組める目標数値を設定する
アズールでは、できる限り余計な指標をそぎ落としたデータ分析を行う専門部署が、目標数値を分析して状況報告をし、気づいたことがあればアラートを出す。コンサルタントはその数字を信じて、仕事を進められる仕組みだ。
売り上げ目標の設定で、杉原が大事にしているのは、「人はイメージしたものにしかならない」ということ。数字でも同じで、イメージした値を大幅に上回ることはほぼない。「達成できたら格好いい」と思うことができ、ワクワクして取り組める目標設定を大事にしているという。その数値から半期、クォーター、月間と落とし込んでいって、目の前の目 標を一つずつクリアしていく度に、コンサルタントは成功体験ができて自信に繋がるというサイクルが生まれるのだ。
「数字を出している人とそうでない人の差は、意識の差です。漠然と考えて、漠然と取り組んでも、漠然とした結果しか出ません。目標を本当に達成したいと思ったら、きっちりブレイクダウンしていかないといけません。また、同時並行で幾つかの案件を進めてリスクを分散し、一つひとつ積み上げていかないと達成しません」
どの案件がまとまるか、冷静に分析して読み取れるかも大きいという。希望的観測を持っていた案件が流れてしまったら、その後の対処ができなくなるからだ。ポートフォリオのように幾つかの案件を進め、リスク分散を行う必要性を、杉原は部下によく伝えている。
「結果として継続的に一定以上の数字を出し続けられていますので、ある一定の充実感があります。ただし、実は自分の数字に満足したことが一回もないかもしれません。まだやれる、という思いもありますし、面談をしているともっとすごい仕事をしている方々にたくさんお会いするんです。話を聞いてかなわないなと、感動してシビれてしまうこともある。だから満足できないのかもしれません」
自分のレベルは社外の誰かと比べて図れ。かつて上司に言われた言葉を、時を経て杉原は日々実践し、原動力 にしているのだ。
私たち紹介会社は、日本を元気にする一端を担っている仕事なんです
紹介会社は日本を元気にする一端を担っている
デジタル化が進み、インターネットなどで情報が氾濫している現代。転職についても正しい情報を見つけにくく、転職者は自分自身を見失いがちな状況だと杉原は分析する。
「昔はその判断をする材料や、情報を集められる人が、仕事ができる人と見られていましたが、今は一定レベルまでなら誰でも情報を集められます。それよりも、情報の中から自分に必要なものを選択できる力が必要です。その情報を見て触って判断し、自分なりの答えを出せることが大事です」
その役割を大きく背負っているのが、転職コンサルタントという職業だと杉原は言う。デジタル化が進んで、転職に人が介在する意味を問われている現代。いい仕事をするコンサルタントこそ本当に求められているので、 身が引き締まるのだそう。
「自分がしてきたこと。自分にできること。今後したいこと。自分に大切なこと。それらを見つけて、やるかやらないかで迷ったらやろう。できるかできないかであれば、できるまでやろう。最近、そう考えて面談に来られる方が増えている気がします。チャレンジする方たちが増えれば、日本は変わっていくでしょう。そう考えると、私たち紹介会社は、日本を元気にする一端を担っている仕事なんです」
アズールの設立から10年が過ぎ、会社は第2創成期を迎えている。個人的にはいつまでも良いプレイヤーとして今後も活躍したいと思う一方、会社作り、若手コンサルタントの育成を史上命題だと考えている。
「これからの10年、今まで話をしたような、私の考える良いコンサルタントが増えたら本当に嬉しいです。メンバーもまだまだ成長できると日々感じているので、本人たちもそう信じて楽しんでほしいです。本当に期待して いるんです」
真摯な口調で語っていた杉原の表情が、ふっと笑顔に変わった。スポーツ業界担当だけに、自身もスポーツやアウトドアが好きだという杉原。友人たちとフットサルをしたり、夏休みには家族でキャンプ、冬にはスキーに行ったりと、思う存分体を動かして日ごろの疲れをリフレッシュしている。そして仕事に戻れば、杉原が原点だ と考える「人と会い、話す」ことを実践し続けていくのだ。たくさんの人との出会いや、かけられた言葉の一つひとつが今の自分を作った。冒頭にそう語った杉原だが、現在は自分が”与える側”となって、多くの人の人生に影響を与えているのだろう。