売上目標のためだけに仕事をしてはいけない自転車操業にならないワークスタイルを作れるか

入社1年目で全社MVP、No.1営業ウーマンとして著書を執筆、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」への出演など、名実ともにトップコンサルタントとして活躍中の森本千賀子。多忙な日々にも関わらず、その表情は疲れを知らないかのような笑顔で、口をつくのはポジティブな言葉ばかりだ。彼女はどのようにしてキャリアを築いてきたのか? そして、未来へ向けてどのような想いを抱いているのだろうか?

入社1年目にして全社MVPに輝いた

アメリカのヘッドハンティングビジネスについて書かれている「スカウト」という本がある。森本が図書館で偶然この本を手に取り、人材ビジネスに興味を持ったのは大学生の頃だった。

「当時の日本では人材紹介事業というビジネスはほとんど認知されておらず、アメリカにはこういうビジネスがあるんだと初めて知りました。いつかきっと日本でも広まるだろうと直感して、そこから人材ビジネスに興味を持つようになりましたね」

まさか後に、自らが『リクルートエージェントNo.1営業ウーマンが教える 社長が欲しい「人財」!/大和書房』という本の著者になり、後世にエールを送る立場になるとは、この本を手に取ったときは思いもよらなかっただろう。

 

大学卒業後、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)に入社し、リクルーティングアドバイザー(企業担当営業)となる。人材紹介ビジネスにおいて、当時一般的だった前金制から、ちょうど成功報酬型に転換する年だった。現場は混乱し、新人の世話をする余裕がない先輩たちから「一人で行って来い」と営業に送り出される始末。だが、そんな環境が結果的に森本を急成長させることとなる。

「分からないことがあっても、聞いて許されるのは新人の特権。何かあれば尋ねればいい、と思って、怖いもの知らずでアポ取りをしていました。根性が座っていたんでしょうね(笑)。社長さんなど、知らない方に会うのが楽しくて仕方ありませんでした」

 

すると、いきなり大手企業から大型求人案件を受注して周囲を驚かせた。当時は営業ツールもデータも整っていなかったため、逆に工夫のしがいが幾らでもあったことも、経験値によるハンデを補った。例えば、メールのない時代でもあり、クライアントに出す手紙は基本的に手書き。リクルートの多くの営業マンが新規開拓で名刺を配る中、服装も普通の格好ではone of themになり記憶に残らないので、スーツの色は基本的に原色。クローゼットには赤、白、ピンク、黄色のスーツが常に入っていたという。入社式も黄色で臨んだのも彼女らしい。

「当時のことを話すと『どこのキャバクラの姉ちゃんが営業に来たのかと思ったよ』とクライアントさんに言われたことがありました(笑)。けれどもちろん、目立つだけではなく。いい意味でのギャップを大切にしていましたね。見かけは派手でも、話し出すと『意外とビジネスのことも理解してるんだ』と思っていただけるよう心がけました」

 

森本は入社1年目にして営業成績1位を獲得し、全社MVPを受賞。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。だが、仕事だけに打ち込んでいたわけではないという。どんなに優秀であっても、人として面白みがなければ、周囲を笑顔にすることができない。そのため、遊ぶことにも寝る間を惜しんで全力で取り組み、1日が40~50時間あるかのように濃密な日々を送った。どんなに飲んだ後でも、フラフラになったまま会社に戻って残務をこなし、翌朝は一番に出社をして全員の机の上を拭いていたという。

「辛いと思ったことは一回もありません。早く朝が来て、仕事をしたいと毎日思っていましたね」

 

森本は満面の笑顔でそう振り返った。

転機となった2つの出来事

トップコンサルタントとして走り始めた森本は、自身の原点となる二つの出来事に出会うこととなる。一つ目が、流通業界のとある社長から教わった「自己ブランド」の大切さ。その社長は、最初にアポを取って訪問したとき、「何しに来た」と冷たい反応。森本の営業を目の当たりにしても、「全然ダメ」とばっさり。その後、3時間に渡って名刺の渡し方から社会の仕組み、営業の極意などを教わったという。

「それが私の原点ですね。特に覚えているのは『自分のブランドを早く作れば、情報やチャンスが巡ってくる』という言葉です。当時、流通業界は今以上に採用が難しく、担当したがるリクルーティングアドバイザーがあまりいませんでした。そこで、私は『流通業界と言えば森本』というブランドを作るために、流通業界に特化して企業開拓をしていきました」

 

結果、その社長の言葉通り、流通業界で人材のニーズがあるときは、森本にチャンスが巡ってくるようになった。その次に森本が注力したのはベンチャー企業。中小企業を経営していた父親の影響で、中小企業の力になりたいとかねてから思っていた森本は、ベンチャー・ニュービジネスを展開する企業を人材面で支援。ここでもベンチャー=森本というブランドを築き上げた。

「これが私の中でのターニングポイントかもしれないですね」

 

と森本は振り返る。

 

二つ目は、人の価値観はさまざまだということ。森本が担当していたとある企業は、不祥事を起こしたために株価が下がり、従業員が大量に辞め、逆境の最中にあった。社長から「私の右腕になって、この状況から再生してくれるような人材がほしい」と言われていた森本だったが、正直、難しさを感じざるを得なかったという。

「今のこの会社に飛び込むような勇気ある人はいないよな…思っていたのですが、“火中の栗を拾いに行きたい”という人が現れたんです」

 

その人材は優秀で志も高く、ビジネスパーソンとして優れた方。ほかの企業からもたくさんのオファーがある中で、誰もが敬遠するような難しい環境にある企業からのオファーを受けるという決断に、森本は思わず「どうしてですか?」と尋ねたという。返ってきた言葉は、森本の価値観を一変させた。

「山に例えると、7~8合目まで登っている会社を頂上まで押し上げるのは、自分でなくてもできる。この会社のように、逆境にあり、まさにマイナスからゼロに戻すステージでは相当のエネルギーが必要。ただ、それは自分にしかできないこと。だからこそ価値がある。」

 

転職希望者に堅調で良い会社を紹介したいと思う気持ちは当然。しかし、いわゆる一般的に言われている「良い会社」、その人が望む会社とは限らない。こうでないといけないと決めつけるのではなく、転職希望者の真の声に耳を傾け寄り添いながらニーズに応えることも、コンサルタントとして非常に重要。そんな気付きが、森本をさらに成長させた。

通例をくつがえす新たな提案

ほかにも森本を成長させた出来事は幾つもある。その一つが、人生経験が豊富なベテランが担当するのが通例だったキャリアアドバイザー(転職希望者担当)を、入社数年の森本が経験できたことだ。

「企業担当をしている中で感じたことは、“私自身転職経験がないこと”。転職者の心の機微や気持ちの変化が分からないことが気になっていました。そのため転職者の気持ちを理解するために、キャリアアドバイザーとして働かせてほしいと会社に掛け合ったんです」

 

常識ではありえない申し出だったが、必死に懇願してリクルーティングアドバイザーとキャリアアドバイザーを兼務する許可をもらう。そのことで、転職者の葛藤や迷い、内定が決まるまでの気持ちの変化などを体感することができた。実際に企業と接するときも、自分の立ち位置を違った角度から見られるようになったという。

「転職希望者からは『こんな若いお姉ちゃんに人生を預けられない』という批判もありましたが、リクルーティングアドバイザーとして企業のことを知っているので、そこでメリットを感じてもらうことができました。両方を経験したことで実際に実績も上がりましたし、会社にとってもいいことだったと思いますね」

 

また当時、ほかのキャリアアドバイザーの3倍にも及ぶ仕事量を抱えていたとき、アシスタントの必要性を感じた森本が会社に懇願したことある。

「面談中の進捗量がキャパシティーを超えお客様の顔と名前が一致しなくなってしまい、これはまずいと思いました。でも、もっともっと多くのマッチング機会を創出したいという気持ちがあったので、事務処理をもっと機能的にこなせる人にアウトソースして、自分にしか出来ない業務に集中することの出来るアシスタント制度の導入を会社に提案したのです。『目標を倍にするならいいよ』と言われて、『分かりました』と答えました(笑)」

 

森本は自分自身で、以前から仕事ぶりを注目していた女子社員に声をかけ、アシスタントとして働いてもらうことになった。プライベートを含めて、アシスタントとは全ての情報を共有。その上で事務処理やアポイントの設定を一任し、森本はこれまで以上に人と対面することに注力することができた。会社との公約通り実績は以前の倍になり、アシスタントとも真のビジネスパートナーになっていった。

「現在のアシスタントさんは7代目です。みんな成長して巣立っていくんですよね(苦笑)」

 

パートナーたちの成長が嬉しいのか、森本はそう言って目を細める。

目の前の求人案件は未来のためだと考える

「昔から、目標のためだけに仕事をしてはいけないと思っていました。いかに自転車操業にならないワークスタイルを作れるかが大事です」

 

目標について、森本はそう語る。もちろん、リクルーティングアドバイザー・キャリアアドバイザーとして毎月・四半期・半期ごとの目標数値がある。だが、それにとらわれ過ぎてはいけないと、自分を戒めるかのように口にする。

「四半期や月の目標達成のために仕事をしてしまうと、目標に目が行ってしまい、本来の転職希望者がどんな転職を考えているかということを忘れてしまいがち。ですので、月の数字はできるだけ達成が見えている状態にして、今取り組んでいる求人案件は、翌月や翌四半期のためだと考え、数字に追われている感覚にならないよう意識しています」

 

また、森本が常に意識しているというのが、不測の事態に備えた対策。求人案件に対してどんなに注力しても、最終的に御縁が無くなってしまう可能性は避けられない。また企業が採用を取りやめになるなど、予期せぬ事態があってもカバーできるように、求人案件ポートフォリオを常に意識するのが森本の習慣だ。

「企業は生き物。ずっと同じように順調でもありませんし、いろいろな外的環境によって左右されます。そのため、企業が今どんな状況にあるのか情報をキャッチアップしておくことが大事。そして、何より“旬”の企業には積極的に、接点を持って置くことが重要です。」

“旬”の企業をゼロから開拓しようとする行動や経験は必要だが、むしろ“旬”になる一歩手前のまだ注目されていない段階で接点を持っておいて、いまだ!という時に一番に声がかかる関係を作っておくことも大事。そういった企業を紹介してくれるパートナーや外部のブレーンを、どれだけ作っておけるかが重要。そう考えていた森本は、20代の頃から人脈作りに注力してきたという。

「アメリカのことわざで、『世界中の人々は6人を介せば繋がれる』とありますが、現実にそうだと思っています。会いたい人にまだ会えていないのなら、会いたい気持ちが弱いかまだ会うだけの価値ある人間になれていないからなのだと思っています。私の場合は会いたい人がいれば、何らかの手段を使ってアプローチをしかけます。大体、数日後に秘書の方から電話がかかってきたりしていましたね」

 

例えばお礼状としてハガキを書いて、あえて郵送ではなく手渡しに行ったり、名刺に香りをつけて印象づけたりなど、森本が行ってきた工夫はさまざまだ。その成果が現在に繋がっていることは、言わずもがなだろう。

「オンとオフの境界線はありません。 コンサルタントの仕事はライフワークみたいになっていますね」

トップコンサルタントが願う若者たちの幸せ

2児の母である森本は、毎朝4時に起床する。家族がまだ寝静まっている早朝の時間帯を、右脳を使う業務に費やす。その後、家族の食事を作ったりと母親としての仕事をこなし、出社するのだ。

「オンとオフの境界線はありません。コンサルタントの仕事はライフワークみたいになっていますね」

 

と森本。プライベートで人と会っていても、「今度、転職相談に乗ってください」と仕事に繋がることがしばしば。保育園のママ友達のご主人の転職を行ったこともあるというだけに、その言葉には説得力がある。

「ただ、母親としての時間帯には、仕事人やコンサルタントとしての私を出さないようにしています。保育園までの子どものお迎えに行く道すがら仕事のスイッチをオフにして、夜一緒に眠るまでは仕事の電話にもあえて出ないようにしているんです。仕事が忙しい分、オフの時間帯は家族との時間を大切にしていますね」

 

母の顔に戻って、森本はそう微笑んだ。

「今はビジネスパーソンを中心に人材紹介を行っていますが、エージェント機能はスポーツ選手やアーティストなどにも必要だと思うので、将来的には各方面にエージェントマーケットを広げていきたいです。また、新卒の3分の1が3年以内に退職している現在、中学生や高校生のうちから将来やキャリアについて考える機会を作って、本当にやりたい職業をきちんとイメージしてもらうことが必要だと感じています。そして一人ひとりがキャリアビジョンを実現できるような啓蒙活動をしていきたいですね」

 

今後の目標を森本はそう語る。2012年7月、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に転職エージェントとして出演した森本には、転職エージェントの役割や存在を、世の中に正しく伝えたいという強い気持ちがあったそうだ。

「一般的に言われる有名な大学に入って、有名な企業に入社することだけが幸せではありません。どんな仕事も、自分がしたことをできている人が一番幸せ。若い人たちには、職業の選択をきちんと行える目を養ってほしいし、伝えていきたいですね」

 

全ての求職者、コンサルタント、若者、そして子どもたちへ向けられているかのようなメッセージを具現化するため、森本は走り続け、発信し続ける。

 

仕事が辛いと思ったことは一回もない。多くの方にお世話になり今がある。早く朝が来て、仕事を通して社会への貢献・恩返しをしたいと毎日思っている。新人の頃に感じていたそんな想いも、変わらず継続中だ。