旅の途中、形なきものを売り続ける男
知的な雰囲気を漂わせる、ハンサムな細身のビジネスマン。そんな印象の市川だが、ひとたび口を開けば、裏表のない本音の喋りが次々と飛び出す。会話の合間には豪快な笑い声を上げ、これでもかと大きく口を開けて笑う姿が印象的だ。そんな屈託のない少年のような一面と同時に、溢れんばかりの情熱とガッツを持っているトップコンサルト・市川知之の素顔に迫った。
アメリカでスタートした人材ビジネスのキャリア
人生はしばしば旅に例えられる。だが人材ビジネスにおける市川のキャリアが始まったのは、比喩ではなく実際に旅の途中だったと言っても過言ではない。広告代理店の営業マンとして20代を過ごした市川が、30歳という節目を迎えたときに取った行動は、あてもなく海を渡ることだった。
「30歳のときに会社を辞めて、知り合いもいないのにアメリカに行ったんです。全く何も考えていませんでしたね。しばらく毎日自由に過ごし、お金が少なくなってきたのでようやく仕事を探し始めました」
無鉄砲だった行動を振り返っておかしくなったのか、市川は笑いながら当時の様子を話してくれた。パソナのグループ会社で副社長を歴任し、現在はパソナ本社でグローバル事業の責任者として忙しい日々を送っている市川。さぞかし着実にキャリアを積んできたのかと思えば、思いがけず風来坊のような経歴を歩んできたことに驚かされる。
「新聞社に営業として入社したのですが、2年ほど経って会社がアメリカから撤退することになってしまったんです。それが2003年ですね。その後、縁あってパソナに現地採用で入社しました。今年で9年目になるのですが、人生の中で一番長続きしている事です」
市川は言い、声を上げて豪快に笑った。
アメリカのパソナが行っていたサービスは人材紹介と派遣、アウトソーシング。市川は、企業のあらゆる人事ニーズのヒアリングから求職者の面接まで、全ての業務を一人でこなしていたそうだ。
中でも目を見張るのは、営業に費やした労力だ。アメリカという異国の地にもかかわらず、市川は日本流の「飛び込み営業」で企業を訪問し続けたのだという。
「相当な件数を回りましたね。最近、当時の業務日誌を見ましたら、1週間に25~30件は営業をしていたんです。なかでも飛び込み営業の場合はビルの最上階から順々に訪問していました。落下傘のように」
約2年間の間、訪問した企業は実に約2000社以上! 訪ねたのは日系企業が中心だが、勤務地があった東海岸付近の企業はほぼ全て網羅したというから、市川のガッツのほどが伺える。
「ちゃんとアポを取ってください、と怒られたこともありましたが、そんなことは慣れっこでした(笑)。アメリカはコミッション(成果報酬)の世界なので、周りに仕事の仕方を教えてくれる人はあまりいないのですが、その代わり訪問先の企業の方から教えていただくことは多かったですね。若手はドンドンこういうことをした方がいいですよ」
少々スパルタだが、若手へ向けて市川流のアドバイスまで飛び出した。伸び悩んでいる若手の方は、ぜひ実践してみてはいかがだろうか?
高まりつつあるアウトソーシングのニーズ
市川が日本に戻ったのは2009年4月。日本のパソナで海外事業を統括すると共に新規拠点の立ち上げなどの役割を市川が任命されたのだった。以来、現在までグローバル事業に携わり続けている。
「今現在は中国、香港、ベトナム、韓国などのアジア地区に行くことが多いです。紹介業の営業も行いますが、駐在員の給与計算管理や労務管理などのアウトソーシングに特に力を入れていますね。現地に行って、現場社員の方々の声をヒアリングして、それをもとに決定権がある本社の担当にアプローチをします」
現場の声を常に聞くことを心掛けている、という市川。この辺りは、アメリカ時代に飛び込み営業で培ったノウハウに通じるものがあるのかもしれない。
「地域や国によってニーズが異なる点が面白いですね。アメリカや香港やシンガポールなどではオペレーションがすでに安定しているので、私たちは効率化やコスト削減という切り口でソリューションを提案しています」
一方、ベトナム、インドネシアやインドなどの新興国地域では、とにかく人材ニーズが高いのだという。 「若い人材が中心となって経済が回っている国なので、彼らをマネジメントする人材が不足しています。人材紹介のニーズもありますし、若い人材を対象に基礎的なビジネストレーニングやリーダー研修を行ってほしいというニーズもたくさんあります」
アウトソーシングの場合、業務を請け負うのは主にパソナの自社社員。スペシャリストが必要な場合は、業務提携をしている現地や日本の企業に依頼するのだという。その辺りの交渉や手配も全て市川の業務領域だ。 ちなみに現在、パソナとしては海外の日系企業に対して、アウトソーシングサービスの提案を強化しているそうだ。
「必要な人材がアシスタントレベルであれば、国によって離職率が高いことがあるので、採用しても業務が安定しないことが多くあります。これは、我々紹介業にとって有利に働く面もありますが、クライアント企業の本質の解決策にはならない。そのため、出入りが多いポジションに対しては、アウトソースをすることが効率化とコスト削減のためになりますよという提案をよく行っています」
ワンストップサービスの提供ができるアウトソーシングは、元々アメリカのパソナが始めたサービスである。アメリカ特有である、専門外の業務を人に任せるという文化を、中国やインドなどのアジアで上手に展開していきたいというのが市川の展望だ。
国や地域によって経費や物価が異なるため、具体的な売り上げ数値の目標を設定するのは難しいとのことだが、「来年度は新たなアジア圏のほかに、ブラジルなど南米も視野に入れていきたいです」と市川は海外事業の展開にさらなる意欲を覗かせた。
人と人との縁が招いた大きな成約
「世界は狭いものです。なぜなら、全部繋がっているんですから」
市川がしみじみとそう話すのには理由がある。アメリカの新聞社で働いていた頃、そろばん教室を経営している日本人のもとへ営業に訪ねたことがあった。実はそのそろばん教室は、後のパソナの上司の母親が経営していたことが分かった。
また、日本に着任後、パソナの新入社員の両親がアメリカで経営していた美容院にも、偶然営業に行っていたことがあった。他にも何らかの接点を持ったことがある人と、街中や電車の中など、思わぬところで出くわすことが非常に多いのだという。
「ネットワークを広げていくには何でも口に出すことが大切。例えば、『私はこういうところでこういうことをしていました』と言うと、『ああ、ではそこでこういう人が働いているのを知っています?』と共通の知人の話題に繋がって盛り上がり、ビジネスになることがあります。私はただでさえ営業でたくさんの方に会うことが多いのですが、こういった人との繋がりは大切にしていますね」
そんな市川も驚いたという、偶然の再会が大きなビジネスに繋がったエピソードがあるという。 アメリカのパソナにいた当時、5年以上アウトソーシングのアプローチをかけていた日系企業があった。ところが手ごたえを感じ始めた直後、担当者が日本に帰ってしまったのだという。
「仕方なく次の担当者にアプローチをしたのですが、また一から提案することになってしまいますよね。しかも大きな案件でしたので、本社との兼ね合いがあるそうでなかなか進まない。仕方ないと思いながら営業を続けていたのですが、2009年には今度は私が日本に帰ることになったのです」
長らく営業を続けていたのに、結局これで終了……市川が諦めかけたとき、何と偶然大阪でかつての担当者にばったり再会したというのだ。
「2人とも驚いたのですが、『例の件はどうですか?』と再びアプローチしたところ、そのまま本社に問い合わせてくれて見事成約したのです」
しかも、中国にも拠点を出しているその企業は、中国でも市川が勧めたアウトソーシングの導入を検討してくれたのだった。「およそ7年がかりに及んだ営業でした。成約したときはこれまでで一番嬉しかったですね」
市川の言うように、世界が本当に狭いのかは分からない。だが、人との縁を大事にし続けたことが、成約という結果に少なからず寄与したことは間違いないだろう。
「世界は狭いものです。なぜなら、全部繋がっているんですから…」
人材も広告も、形のないものを販売するという点では同じ
最近は中国、香港、ベトナムに加え、新拠点の立ち上げでインドネシアや韓国にも通っているという市川。日本に滞在しているのは、1ヶ月に1週間くらいしかないそうだ。しかも滞在中も、平日の夜はクライアントなどと会食の予定がぎっしり。たまの日曜日にも、5歳と3歳の子どもと遊んでいるためゆっくりできるヒマがないのだそう。
「子どもと遊んでいるというか、遊ばれているというか。平日は家に帰るのが夜の12時過ぎ。もう40代なので、周囲から体をいたわりなさいと言われているので、休みの日にだらだら過ごす時間を作ることも必要なのかもしれません」
そう言って市川は苦笑いする。
趣味は水泳やバイク、それになぜか靴磨きと多岐に渡っていたが、今は驚くほど趣味にかける時間がなくなってしまったのだという。
「仕事で自分に対してプレッシャーをかけるのは大好きですが、マラソンなど体の限界に挑戦するのは苦手です。以前はスポーツジムに行っていましたが、最近は全然行っていません。そろそろ健康にも気を遣わないといけないですね」
そんな市川は、今後のキャリアをどう考えているのだろうか? 尋ねると、少々どきりとするような回答が返ってきた。
「私は大体、3年を周期に次のことを考えるようにしているのですが、アメリカから戻って来てからあと約半年で3年になります。2年半前にしようとしていたことが全部達成出来たかは分かりませんが、半年後はどうなっているか分かりません。日本ではなく、もしかしたらほかの国に行ってしまうかもしれませんね」
ただ、と市川は言葉を続ける。
「この3年は自分の中で、本当に色々なことを経験させてもらいました。自分が何かをしたというよりも、本当にメンバーに恵まれていて、周囲の方に助けられた感じがします。思った以上に成果が出せましたし、色々な拠点の立ち上げや国の管理も任されていましたし、当初考えていたよりも遥かに充実していると思います」
実は人材ビジネス業界と、かつて市川が働いていた広告代理店や新聞の営業は似ているのだという。それは、メーカーが商品を販売するのと異なり、どれも形のないものを販売するという点だ。
「僕の中ではどれも同じです。お客様のお話をヒアリングして、何を欲しているのかを知ることが一番大事なのですから。もしも僕がこの先違う業界に行ったとしても、業種を問わずに形のないモノを売っていくでしょうね」
旅の途中で偶然人材ビジネスに出会った市川。旅はまだまだ続いていくが、ときには無鉄砲に、ときにはのんびりしながら、自分の道を進み続けるのだろう。