コンサルタントは過信してはいけない。 独りで結果を出せないのはもはや明らかです。

IT分野に特化した人材紹介で堅調に成長するワークポートのチームリーダー横山法典。
「周囲に求められれば僕は何でもします」と言えるまでの自己犠牲精神を彼はどのように形成したのか。

今後の人材紹介業界に求められるコンサル像とは

トップ・コンサルタントのインタビューである以上、話題の大半が成功体験談になるのが普通だ。しかし、取材が始まって数十分が経過しても、今回の取材対象者、横山法典からそのような類の話が出る気配はない。何としても成功体験を引き出さねば…という想いが焦りになってきた頃、同席していた横山が勤務するワークポートの林副社長がこんな台詞を口にした。

 

「横山はチームを機能させるという意味のトップ・コンサルタント。個人成績はもちろん、弊社の人材紹介事業の躍進に最も貢献した人間です。名実共に弊社のトップ・コンサルタントと言っていい」。

その一言で気づかされた。トップ・コンサルタントという言葉から、どうしても一匹狼タイプをイメージしてしまうが、彼のように「チームを機能させる部分で力を発揮する」タイプこそが、これからの人材紹介業界に求められているのではなかろうか。

 

横山がワークポートに入社してから2009年5月で丸4年。入社当時は企業開拓の営業を担当し、現在は人材紹介事業部マネージャー職に就く。

彼が入社してからワークポートの人材紹介事業部は、IT分野を中心に約5倍の規模にまで急成長を遂げた。林副社長が「人材紹介事業部の躍進に最も貢献した」と評する以上、この成長過程で横山が大きな役割を果たしてきたのは間違いないだろう。

 

だが、30代半ばと管理職としては若い部類に入る横山が、なぜ組織を動かす術を身につけているのか。そこには前職での壮絶な体験があった。話は5年前に遡る。

半年の間、ひたすら頭を下げ続け行脚

30歳の夏。突然、横山の携帯が四六時中、鳴りやまなくなった。大学卒業後に入社、約7年勤めていたエンタテイメント関連の会社が倒産。しかも、社長が失踪、債務を整理できない状況に陥った。貸し先が納得してくれるわけもなく、社長の右腕だった横山の携帯に取引先から罵声、泣きの電話が絶え間なく入る。埒があかない、今すぐ大阪まで来いと半分脅しのような電話もあった。スーツの下にびっしょりと冷や汗をかきながら、東京から関西に飛ぶこともあった。

 

「僕はあくまでも一社員の立場だったので経営責任はなかったんです。退社すれば済む話だったのかもしれません。でも、社長が自分宛に『あとは任せた』という置き手紙を残していったんですね。そう言われた以上、逃げ出すことはできなかったんです」。

 

横山は取引先に詫びるために奔走し続けた。それは、ひたすら頭を下げ続ける行脚だったと言っていい。そして、半年後、ようやく横山の携帯に返済督促の電話が入らなくなった。ほっとしたでしょう、という問いかけに横山は予想外の返答をした。

 

「電話が鳴らなくなったということで僕という人間がもうこの状況では社会から必要とされなくなったんだな、と感じたんですね。それまで僕はのしあがるには何でもありくらいの考えを持つ傲慢な人間だったんです。自分が世の中の中心という考え方をしていた。でも違うんですね。社会があって、自分がいる。そんなことを体で理解した瞬間でした」。

「夢があるとすれば、 どこにいっても、人材紹介と言えば ワークポートと言われる存在にしたい」

会社のムードが良ければ結果は出る

30歳の歳の暮れ。横山は生まれ変わった。「社会に生かされている」ことを身を持って知り、それまでの人を押しのけてという考えが自然に脱けていった。バイブルだった矢沢永吉の自叙伝「成りあがり」や夢を持てと叱咤するビジネス書が急に色褪せて見えた。

控えめでも必要とされる人間に、縁の下の力持ちに…彼の人生観は根底から覆った。その考え方が、そのまま現在の仕事に向かう姿勢に反映される。横山は言う。

 

「コンサルタントは自分を過信してはいけません。人材紹介ビジネスにおいて、独りで結果を出すことができないのはもはや明らかです。様々な立場の何人ものチームワークで、やっと一人の転職希望者が内定をもらう、それが人材紹介ビジネスなんです」。

 

だからこそ彼は、会社のムードづくりに細心の注意を払う。「ムードが良ければ、結果は出る」と言い切る。そのために相手が新入社員でも、他の事業部の社員でも、自分から積極的に話しかけていく。共通の話題がある時ばかりではない。常備しているキャンディを笑顔で薦めることもある。

 

だが、辛酸をなめ尽くした男だ。単に気さくな明るい顔ばかりではない。林副社長は横山をこう評する。

「厳しいことを部下にきちんと言い、指導できる人間。それができる人材というのは今の時代少ないですよね」。

これについて、横山は「普段からコミュニケーションをとっているからこそ、厳しいことが言えるんです」と言う。 だが信頼関係があれば厳しいことを言っても良いという単純な話でもない。部下に苦言を呈するタイミングについて、彼はえんえん悩み続けるという。今日言うべきか…明日言うべきか…そんな葛藤を繰り返して、やっと口火を切る。どんな局面でもおもいやりを忘れない。

 

ワークポートの人材紹介事業部は、事業領域ごとに4つのチームで編成されている(2009年春現在の体制図)。その中の「パッケージ開発・ゲーム・モバイルカテゴリ」のチーム責任者を横山は現在任されている。  今でこそ、一挙手一投足から仕事への自信が漲る横山だが、入社した頃は全く違った印象だったと林副社長は当時を振り返る。

「正直、ほんと正直ね、採用して失敗だったな、と。仕事ができる、できないの前に全く周囲に打ち解けていない。これではものにならないだろう、と感じていました」。

横山は、前職で年配の方々と共に仕事をすることがほとんどだった。20代、30代のメンバーが中心のワークポートの社風になじめなかった。毎日、出社すると腹痛になるほどとまどっていた。

 

さらにもう一つの壁があった。ワークポートがITに特化した人材紹介会社にも関わらず当時の横山は一般的なインターネットユーザーの知識しか持ち合わせていなかった。企業担当者や登録者と話しても、専門用語が出た途端に理解不能に陥る。しかし、この局面で謙虚に生まれ変わった横山の人生観が幸いした。

 

「今でもそうですが、周囲から学ぼうという姿勢を貫きました。社内では年下でも良い部分があればすぐに盗んで真似をし、転職希望者との面談でも『僕はエンジニアの知識はないので』とはじめにお断りして専門的なことを学びました。それは今でも変わらない。僕に特別なノウハウはありません。人の良いところを見て、それを真似しているだけなんです」。

 

転職希望者との面談で最も注意するのは「上の立場にならないこと」と横山。そんな今の彼から傲慢だった20代の姿は想像もつかない。人は一瞬で生まれ変われるのだ。