新・就労ビザ制度で変わるシンガポールの採用市場を切り拓く

2023年9月、シンガポールで新たな就労ビザ制度「COMPASS」が始まった。これにより、日本駐在員の人数やローカル採用数が大きく変わると予測されている。今回は、リクルートのシンガポールHR事業を担うRGF HR Agentのカントリーマネジャーである渡邊遥平氏に、シンガポールの採用事情とRGF HR Agentの取り組みについて聞いた。渡邊氏がかつて在籍したタイ拠点の採用情報も合わせて紹介する。

「顧客・求職者満足51%、売上49%」の哲学

最初に、御社の事業内容をお聞かせください。

RGF(Recruit Global Family)HR Agentはリクルート社の海外事業会社で、主に求人企業の採用活動支援、求職者の就職支援をサポートする総合HRサービスを提供しています。シンガポール支社は東南アジア地域の統括拠点が多いため、特定の業界に特化せず、幅広い領域とキャリアを支援しています。

渡邊さんは新卒入社ですか?

いえ。最初のキャリアは商社で、当社は3社目です。私は学生時代から海外で働く目標を持っていたため、大学生のとき、米国のサンディエゴに1年間留学しました。就活も海外で働ける企業に絞り、三菱商事の専門商社へ入社しました。ミサイル、戦車、ヘリコプターなど軍事兵器の政府間取引を担う会社で、そこで初めてGtoG(government to government)という言葉を知りました。とてもやりがいがある仕事でしたが、時差関係ない労働の連続や特有の人間関係が合わず、9カ月で退職しました。

第二新卒となった私は、社会人としてリスタートするため再就活をしてリクルートへ入社し、中途採用メディア事業(リクナビNEXT)に配属されました。人生のやり直しだと思い熱量を持って仕事に取組むうち、部門MVPを受賞するなどの成績をだせるまでになったものの、スキルが上がれば上がるほど、気持ちは再び海外へ向くようになりました。そんなとき、お客様として出会ったのがRGF HR Agentです。社長と採用支援について話すうち、タイで現地採用していただく運びになりました。入社後は半年ほど研修を兼ねてバンコクで人材紹介の企業側を担当し、2019年1月から同じくタイのチョンブリーへ異動しました。シンガポールへ来たのは22年5月で、当初は副代表でしたが、23年5月に前代表が退職したタイミングでシンガポールのカントリーマネジャーになりました。

バンコクからチョンブリーへ異動された経緯を教えてください。

前拠点長が辞めたという自発的でない事情がきっかけではありますが、チョンブリーへの異動が私にさらなる自信を与えてくれたと思っています。新卒で挫折して、リクルート社でリスタートして這い上がって、海外へ進出して、チョンブリーで新規開拓を任されてMVPをとって。チョンブリーでやっと、私の海外での勝負が本格始動したように感じました。

チョンブリーはローカルの工業地帯で、英語よりもタイ語をメインで使うと思います。タイ語はいつ、どのタイミングで習得されましたか?

日系企業との取引が多かったので慌てて覚える必要はありませんでしたが、新規開拓事業に必要な言葉だけは、特化集中して現地メンバーに教えてもらいました。レストランやタクシーなど暮らしに必要なタイ語は、生活の中で徐々に覚えました。

タイ事業の中でチョンブリー拠点の立ち位置をどのようにお考えでしたか?

チョンブリー拠点は、飽和したタイでの人材業界においてはプラスアルファの存在です。後発の我々がいかにお客様からのご要望に早く応えられるか。この点にフォーカスして差別化戦略を描きました。求人をいただいてから3日以内に推薦を出す等、良い方を早くご紹介するための指標を作ってオペレーションを組み、メンバーに共有しました。

差別化の要素にスピード感を選ばれた理由は?

リクナビNEXTでの経験がヒントになりました。採用広告に高いお金を事前に払って掲載していただいても、それと採用できるか否かはまったく別の話です。長く利用し続けていただくには、早く採用につなげて満足度を上げることが必須です。リクルートの当時の上司から言われた「顧客・カスタマー(求職者)51%、売上49%」という哲学を常に胸に刻んでいます。売上よりも1%でも多く、顧客や求職者のことを優先的に考えましょうという意味です。この哲学は現在も実践しています。

将来を見据えて360度ヘッドハンティング型から180度のRACA型に

シンガポールの代表に選任された理由は聞かれましたか?

副代表時代にマネジメントした2つのチームで大きな成果を出すことができたからだと思います。一つは消費財チーム、もう一つはビジネスモデルのフィジビリティ(実現可能性)チームです。弊社シンガポール拠点ではこれまで360度(一人が企業担当と求職者担当を兼任する)のヘッドハンティング型を採用していましたが、私が入社したタイミングで180度のRACA型(企業担当と求職者担当を分業するモデル)をフィジビリティ展開しました。

分業型の混在に変えた理由は?

コロナ禍でエグゼクティブクラスのヘッドハンティングが大幅に減少したため、業績回復と今後のリスクヘッジを兼ねて間口を広げて、業績を安定させる方向へシフトしました。マネジメント・経営層特化だけでなく、一般の求人への対応をするのであれば、担当を兼任から分業に変えたほうがいいという判断でRACA型にシフトしました。

RGFにはProfessional RecruitmentとHR Agentの二つのブランドがあります。

基本的に、PR(プロフェッショナルリクルートメント)チームは外資ローカルのエグゼクティブクラスが対象で360度型、HR Agentは日系企業で360度型と180度型のミックスモデルです。担当企業が一般スタッフの求人を希望するときは自分で支援してもアウトソースしてもいいシステムにしており、社内に求職者のソーシング専門チームを設けています。

CAは、求人数や推薦数、推薦から面接へ進む過程の質的なKPIを定めています。1人の担当がオールレンジで領域や役職を問わず受け持っていますが、今後はCAの専門性をより高め、セグメント化していく方向で考えています。

求職者に対する御社の強みは何ですか?

取引内容に関わらず、等しく顧客ファーストである点です。当社に限らずリクルート社のHR領域における海外拠点はほぼ後発組ですが、先ほど申し上げた「顧客・カスタマー(求職者)51%、売上49%」の哲学をマネジメント層から徹底し、常に顧客ファーストの視点で戦略を立てている点が強みだと思います。

COMPASSでシンガポールの採用事情は大きく変化する

最近の東南アジアの求人事情や求職者の動向などを教えてください。

コロナ禍で企業の約25%が駐在員の数を減らしたといわれる中で、今後も40~50%の企業は増員しない、もしくはさらに減員する可能性があります。とりわけシンガポールは23年9月に始まったCOMPASS(コンパス)という就労ビザ制度により厳しい審査基準が加わりコスト増になるため、駐在員を減らす企業が増え、事業所の縮小やローカライズ化が進むと予測しています。駐在員数を維持するにしても、人件費が高いシンガポールで経費を維持しながらどう利益を出していけるかが課題となりますので、当社がそのソリューションを提供したいと考えています。現在、実際に危機感を持った企業からの問い合わせが増えており、企業ごとにカスタマイズした給与、評価、福利厚生の課題をもとにマーケティングを実施し、コンサルティングを行っています。

現在、世界における日系企業の競争力低下が課題になっていますが、渡邊さんはどのように捉えていらっしゃいますか?

給与や福利厚生制度など、人にかけるコスト意識が日系企業と外資系企業では大きく異なると感じています。特に創業からの歴史が長くメンバーシップ型雇用を続けてきた企業は、同じ候補者へオファーする際のパッケージが外資と比べると弱い傾向にあります。「未経験を雇って育てジェネラリストとして生涯働いてもらう」という日系企業特有のメンバーシップ型雇用に対し、シンガポール含め海外企業はジョブ型雇用が基本です。特にシンガポールの求職者はスペシャリストとしての成長を望みますので、海外で日本のメンバーシップ型を遂行してジェネラリストを育てるのは無理があります。その点、スタートアップ企業は予め経営コンサルを受けていることもあり、比較的人への投資意識が高く、外資系企業と比較してもさほど変わらない傾向にあります。

また、有給の日数も日系と外資では大きく異なります。歴史ある日系企業の多くは未だに有給年10日ですが、外資系企業では20日が当たり前。どんなに少なくても14日です。

ちなみに、タイとシンガポールのマーケットの違いがあれば教えてください。

仕事を選ぶ優先順位の考え方が違います。シンガポールの人は、給与の額面よりもワークライフバランスがとれるかどうかや、キャリアの継続性を重視します。タイの人は額面を優先した上で福利厚生などに注目する傾向があります。

最後に、今後の事業の注力ポイントをお聞かせください。

シンガポールは金融のハブが多く、世界情勢の影響をドラスティックに受けやすい面があります。シンガポール貿易産業省の発表では、今年のGDP成長率見込みは0.5~1.5%と、他の東南アジア各国と比べて低いため、東南アジア各国とバランスの折り合いをつけていくことが当面の課題となりそうです。

もう一点、24年にCOMPASSのEP(Employment Pass)更新が始まるタイミングでローカライズが加速するので、取引先企業様がローカライズするのか規模を縮小するのか、それとも駐在員を増やすのか、より建設的な選択をしていただくためのコンサルティングを進めていきます。